“というところで、{お金の,承認/評価の}{資本主義,社会主義,家内制手工業}という前述の話になる。人は私的財産権への誘惑から逃れられな
かったし、それゆえに資本主義は猛威を振るった。同じことが承認/評価の経済においても起こるんじゃないか、と私は思う。言い換えれば、インターネットは
情報の共有を可能にしたけれど、「プライオリティ」や「先行者の称号」については厳密な私的所有を帰結しているように思う。
ファミコンの裏技を考えてみればいい。インターネット以前にはおそらく日本中の小学校で「この裏技は最初に俺が発見したんだぜ!」と言え
る人がいた。ところがインターネットの普及以降は、光のスピードで情報が共有され「最初に発見した人」の称号が得られるのは一人に限られるようになった。
本当に「最初に発見した人」が誰であるかは別として、その情報をFREE化してバラ撒いた人間が、「最初に発見した人」の称号を独占することができるし、
その独占は未来永劫崩れることはない。それが「(最初の一点を除いて)ズルの許されない」FREEで透明な社会だ。
オープン化・フリー化はこの流れをむしろ加速させる。クローズドなものは(法的に厳密にはこれは誤りだが)プライオリティの証拠となら
ず、オープンにしてバラ撒いた者が、先行者の称号を独り占めできるようになると思う。
そして、評価/承認の経済において、「先行者の称号」こそ、誰もが欲しくて仕方のないものであるに違いないのである。かくして承認の供給
不足は進行する。モノが満たされ、情報がフリーになっても、「先行者の称号」という評価は決してフリーにはならないのだ。必ず情報には「byだれそれ」と
いうタグが付いて回るし、そのタグはみんなものにはならない。
そして、「ポスト物質社会」において人々が求めているのは、情報ですらなく、むしろ称号や承認なのではないか、と思うのである。 ”
— 2010-05-17 - 日記&ノート(転叫院) (via ginzuna) (via nakano) (via nemoi) (via mnak) (via ipodstyle) (via yaruo) (via yaruo) (via hustler4life)